千鶴ちゃんの成人式
午前診療は滞りなく終了し、片づけをしているときにふらりと総司がやってきた。
当然総司も千鶴がおらず君菊が居るのに気づき、今日は成人式で千鶴はそちらに出ていると教えられる。
君菊が淹れてくれたお茶を飲みながら、総司は楽しそうに言った。
「あの子着物に似会いそうだよね。やっぱり振袖かな」
君菊がカルテをしまいながら答える。
「そうだって言ってましたよ。写真見せてもらいましたけど白地にピンクでとってもきれいでした」
千も会話にくわわる。
「若先生、どうするのかしらね?成人式の後デートしたりするのかしら?」
「式典の後に?成人式の後ってたいてい同期どうしで酒飲みに言ったり遊んだりするんじゃない?」
総司が自分の時の成人式を思い出しながら言う。
総司の時は斎藤や平助たちと飲みに行きそのまま朝まで飲んでせっかくのスーツがしわくちゃになった覚えがある。女の子たちも着物を着換えて同窓会みたいなことをあちこちでやっていたように思うが。
千がにやにやしながら総司の隣に座って、てみやげの豆大福に手をのばした。
「もちろん同い年どうしで集まって話はしますよ?一緒にお茶飲んだり。かーらーのー彼氏のお出迎え!ってのが成人式女子のステータスなんですよ」
君菊もウンウンとうなずく。
「わかります。女友達の中で、『あ、私二時から約束があるからそこで抜けるね』っていうのですよね。で、振り袖着た集団から一人抜け出して、迎えに来てくれた彼氏と去るんです。勝ち組って感じですよね」
「そーよ!しかも迎えに来てくれる彼氏が年上で若先生みたいにかっこよかったらいったいどこまで勝つつもり!?って感じよねー!!」
成人式女子の中にもそんなカーストがあったなんて思いもしなかった昔の成人式男子の総司は、千と君菊の会話に気圧されたように目を瞬いた。
「そうなんだ。あの時に女の子たちがそんなこと考えてたなんで知らなかったな……。でも同年代の彼氏だったらそいつはどうせ男友達と酒飲みに行っちゃうんじゃないの?」
千は豆大福を食べながら首を横に振る。
「同年代ならそうでしょうね。だからこその年上ですよ。きっと彼女が振り袖で着飾ってるからデートする先も高級フレンチとか?」
「高級料亭で懐石とか?」
「年上である程度お金も持ってるからこそできるデートよね!」
きゃいきゃいとはしゃいでいる千と君菊を見ながら、総司は多分今診察室にいるだろう斎藤の方を見る。
「えらくハードルあげられてるけど、そもそも斎藤君、午後から千鶴ちゃんとちゃんとデートの約束取りつけてるのかな?それにそんなゴージャスデートのプランニングなんて気の利いたことやってる気がしないんだけど」
総司の言葉にはしゃいでいた千と君菊も顔を見合わせる。
「確かに……」
そもそも午後に会う約束をしているのかどうかすら疑わしい。斎藤のことだ、『久しぶりに会った同年代の友達と旧交をふかめてくるといい』的なおっさん臭いことを言って、自分は午後いっぱいカルテの整理や症例の研究とかをしてそうだ。そこを千鶴が健気に『でも斎藤先生にも振り袖姿を見て欲しくて…!』とか言ってなんとかデートの約束を取り付けていたとしても、斎藤は今日診察した時の服(白衣はさすがに脱ぐだろうが)でそのままフラリと式典会場へ向かいに行きそうだ。そして食事の先はファミレスとか……
君菊は微妙な顔をする。
「いえ、さすがにそれは……若先生、結構研究熱心ですし『女の子の好きなデートスポット百選』とかいうマニュアル雑誌も前に買ってらしたし……」
意外にいろいろチェックされてるんだなと、総司は斎藤に同情しながらも首をかしげる。
「いや、誕生日とかクリスマスとかそういう『デート』をする日だとわかってたらもちろん斎藤君も綿密に計画立てると思うけど、成人式の後にそんなデートを女の子から期待されてるなんてたいていの男は思ってないと思うけど」
実際総司自身そうだったのだ。斎藤が知っているとは思えない。
「そうですよね……じゃあ今日は二人はデートしないのかしら……」
千がそうつぶやいた時、診察室のドアが開いて、白衣を着た斎藤が入ってきた。
ソファに座ってお茶を飲みながらくつろいでいる総司に気づき、「また来ていたのか」と言う。総司は軽く手をあげて挨拶すると、早速先ほどまでの話題を斎藤にぶつけてみた。
「斎藤君、今日これから……」
総司の質問は、ロッカーの前で白衣を脱いだ斎藤を見て途絶えた。千も君菊も斎藤を見て『あれ?』と目を見開く。
斎藤はYシャツにスーツのズボンだったのだ。もちろんピシッとアイロンのかけられたものだ。いつもはジーンズやチノにTシャツや開襟シャツという気楽な恰好なのに。
皆がポカンと口を開けて見ていると、斎藤はロッカーの中から光沢のあるブルーのネクタイを取り出した。Yシャツのボタンの色と同じ色だ。
ネクタイを締めだした斎藤を見て、更に皆の目が見開かれる。千と君菊に目で促されて、総司が代表して斎藤に聞く。
「斎藤君……どこか行くのかな?仕事?」
斎藤が最後に羽織ったジャケットは、濃紺のシングルのダークスーツ。細身のサイドベントで斎藤の体型にぴったりだ。
「……」
スーツをばっちりと着こなした『若先生』は、正直よく知っている千や君菊から見てもびっくりするくらい恰好よかった。どこから見ても隙がない完璧なイケメンとしかいいようがない。
「……斎藤君、スーツなんか着てどうしたの?」
これから学会に、とか言いそうな予感がして総司がそう聞くと、袖にカフリンクスをつけながら斎藤がこちらを見た。
「これから千鶴と会う約束があるのでな」
キターーーーーーーーーーーーー!!
総司と千、君菊は脳内で絶叫する。表情はかわらないようにするのが一苦労だ。
斎藤がこんなにキメて千鶴を迎えに行くなどと想定外だった。これは千たちが心配するまでもなかったのだ。君菊が更に聞く。
「式典会場、ここから近いようですが歩いて行かれるんですか?」
斎藤は静かに首を振り、今度はバーバリーの黒のダブルトレンチコートを羽織る。
「いや、車で迎えに行くつもりだ」
きゃーーーーーーーーーーーーー!!
千と君菊、そして総司までも思わず両手を頬にあてて脳内で叫んでしまった。
年上でイケメンな斎藤が、ビシッとスーツをきてコートまで完璧で、その上車で振り袖彼女のお迎えとか!!ちなみに車は二年前に買った濃紺のプリウスだ。
(も、ものすごいリア充ですよ!)
(どうしよう、そんな風に迎えに来られたら僕ですら好きになっちゃいそう……)
(私だって!!)
千が息も絶え絶えになりながら斎藤に聞いた。
「そ、それで……千鶴ちゃんとどこに行くんですか?フレンチ?イタリアン?懐石ですか?」
斎藤はロッカーを閉めた。
「千鶴の家だ」
え……?
先程までのワタワタしたピンク雰囲気が一瞬固まる。総司が思わず立ち上がって斎藤に言った。
「千鶴ちゃんの家?家族と一緒に住んでる…?」
斎藤は頷いた。
「そうだ、これまで千鶴が俺とつきあっていることは彼女の家族には内緒にしていたのだが、そろそろきちんと話さねばならん思ってな。成人式を機に娘さんとおつきあいさせてもらっていますと挨拶をしに行こうと思っている」
千と、君菊、総司は顔を見合わせた。
総司が言う。
「うん……斎藤君がんばって、応援してるよ。でも今斎藤君が話しかけてるのは人体模型のマネキンだからもうちょっと落ち着いて」
斎藤はビシッとコートを着て、休憩室の隅にある人体模型に向かって話していた。総司に指摘されてそれに気づいた斎藤は、相変わらず硬い表情のまま言う。
「そうか、すこし緊張しているのかもしれんな。では言ってくる。病院の鍵は閉めておいてくれ」
「待って待って!若先生、足元が健康スリッパのままですよ!」
「カバンも車のキーも忘れてます!」
慌てて靴を履き替え、カバンと車のキーを持つ斎藤を皆は不安気に見守った。
駐車場へつながるドアを開けた斎藤に、総司は手を差し伸べて握手をした。
「……幸運を祈ってるよ、がんばって」
「ありがとう」
斎藤は頷き返すと、扉を閉めて病院を出て行った。後に残された三人は顔を見合す。
「大丈夫かしら、若先生……」
「男からしたら彼女の両親に挨拶なんてものすごく行きにくい上に、自分の患者さんのご両親でしょ?」
総司が腕を組みながら言う。君菊が溜息をついた。
「千鶴ちゃんのご家族からしても驚く…というか気まずいと思いますけどねえ…。だって自分の子供がかかっている小児科の先生ですよね?その上バイト先の雇い主で…一番そういう目で見ない相手から『実はつきあってました』ですよね」
千も頷く。
「そうよね。次からどんな顔して病院来ればいいのかって感じよね」
総司が腕を組みながら楽しそうに言った。
「どうする?次からもう雪村家がこの斎藤こども病院に来なくなっちゃって千鶴ちゃんもアルバイトやめさせられちゃったら?」
「やだ、沖田さん不吉なこと言わないでくださいよ」
千はそう言ったものの君菊と不安気に顔を見合わせたのだった。
振り袖姿の千鶴はとてもかわいく、斎藤は一瞬すべてを忘れそうになったが危うく踏みとどまった。
帯のせいで車に乗りにくい千鶴のために、助手席のドアを開けて手を取って乗せてやると、斎藤は運転席にもどってエンジンをかける。
式典会場に残っている千鶴の友人たちに、助手席から千鶴が手を振っているのを見ながら、斎藤はゆっくりと車を発進させた。
「その…ご両親には言ってあるのだろうか?」
ガチガチに緊張している様子の斎藤を見て、千鶴の緊張も高まる。
「おつきあいしている人を紹介したいとは言ってあります。そういうのが初めてなのでうちの両親も相当舞い上がってましたけど」
斎藤はウィンカーを出して大通りへ出ると、千鶴の家へと向かって走り出す。式典会場も千鶴の家も『斎藤こども病院』もすべて歩いて行けるほどの距離なので、車はあっというまに千鶴の家へと到着した。
「相手が俺だというのは雪村さんは知らないのだな」
斎藤はいつも千鶴の弟をつれて診察に来てくれる千鶴の母親を思い出しながらそう言う。千鶴は頷いた。
「なんて言ったらいいのかわからなくて……」
まあ確かに言いにくいだろう。しかし斎藤からもかなり言いにくい。しかし言わねばならない。
二人は、雪村家お気に入りというケーキ屋でケーキを買っていくことにする。雪村家の近くにあるそのケーキ屋で千鶴を車からおろし、斎藤は近くのコインパーキングに車を停めに行った。千鶴に先にケーキを選んでもらっておいて、ケーキを買ったらそのまま千鶴の家まで二人で歩いて行けばいい。
車を駐車場に停めて千鶴のいるケーキ屋に行こうと斎藤が一人歩道に出たとき、後ろから声をかけられた。
「斎藤先生?斎藤先生じゃありませんか?」
「わーせんせいだ!」
斎藤がふりむくと、そこにいたのは千鶴の母親と弟だった。手をつないでスーパーの袋を持っている。
千鶴の母親が近寄ってきて丁寧にあいさつをした。
「いつも千鶴と颯太がお世話になっています。斎藤先生、おでかけですか?白衣以外の姿を初めて見ました」
「せんせいかっこいい〜!」
ほれぼれと斎藤を見てくれる千鶴の母親と弟に、斎藤は赤くなりながら手をあげて「あ、いや、別に…」と意味のない言葉をごにょごにょと言う。千鶴の母親はさらにお辞儀をした。
「うちの千鶴、今日アルバイトお休みさせてもらってるんですよね、申し訳ないです」
「いや、成人式ならそれはもう…」
「おねーちゃん着物着てるんだよ!」
これはまずいと思いながらも、斎藤はどうすればいいのかわからず流されるまま会話を続ける。千鶴の母親は自分が持っているスーパーの袋を持ち上げて言った。
「それがね、成人式の後お付き合いしている男の人を家に連れてくるからって、昨日突然千鶴から言われたんですよ。千鶴に付き合っている人がいるなんて初耳だし家に連れてくるなんてもう初めてで私も夫もどうすればいいのかおたおたしてましてねえ、今。夫が家を片付けている間に私と颯太は、おもてなし用に買い物に行ってきたんです。時間的にもしかして長くなったら夕飯を一緒に食べて行かれるかもしれないんで、すき焼きの材料と、あとビールと……」
「ああ、いえ、車で来ているのでアルコールは……」
思わず斎藤がそう言うと、千鶴の母親は「は?」と首をかしげた。斎藤は慌てる。
「あ、いえ!あの…」
その時、今度はまた逆方向から斎藤に声がかかった。
「斎藤先生!ケーキ……あ」
それはケーキを買い終えた千鶴だった。近くまで来て斎藤と話しているのが自分の母親と弟だと気づいた千鶴は、驚いて言葉を止める。
「お母さん、颯太…」
「あら、千鶴!もう式典終わったの?ちょっとちょっと……!それで?例の紹介してくれる人はどこにいるのよ?」
ドキドキしたように千鶴の後ろを覗き込んだり反対側を見たりしてそれらしき人を探している母親。目の前に居る斎藤は、まったくの対象外のようだ。
これは気まずい。
「あの……お母さん、こちら斎藤先生で……」
千鶴がおずおずと母親にそう言うと、母親は笑った。
「知ってわよ。さっき颯太が見つけてね、私もご挨拶してたところなんだから」
「えっと、そうじゃなくてね……」
「何?アルバイトで何か問題でもあったの?」
急に心配そうな顔になる母親に、斎藤が思い切って言った。
「千鶴さんとお付き合いさせていただいています。今日はご挨拶にお伺いするためにお邪魔しました」
千鶴の家に着いたら言おうと考えていたセリフは、実際は路上だったため少しおかしかったが、それに気づくような冷静な人間はその場に誰一人いなかった。
母親はポカンと口をあけて斎藤を見る。
「は……え?斎藤先生……え?」
「お母さん、私、斎藤先生とお付き合いしてるの」
千鶴が恥ずかしそうにそう言うと、母親は千鶴の顔と斎藤の顔を見比べて絶句した。
路上にたたずむ振り袖姿の女性とスーツ姿の男、私服の中年女性と小さな男の子。
不思議な組み合わせの四人は、通り過ぎていく人達にじろじろと見られながら立ちすくんでいたのだった。
もちろんその後、雪村家の颯太はこれまで通り風邪をひいたら斎藤こども病院に来るし、千鶴も土曜日のアルバイトは続けていた。
ただ、颯太が病院にくるたびに、そこにいる人たちに「斎藤先生、僕んちに前来たんだよ!なんかお母さんとお父さんに挨拶してた!その後もたまにお姉ちゃんを送りに来るんだよ!」と言いまくり、それが聞こえてくると『若先生』の顔が赤くなるという事態がたびたび発生したが、まあそれは小さなことで大した問題ではなかった。
終
2013年5月12日
掲載誌:Dr.斎藤
戻る